「正解」はネットにはなかった。猫の糖尿病治療5年間で学んだこと

糖尿病のこと

このブログを見に来ていただいている方は、愛猫が糖尿病か、何かしらの病気で闘病生活になって不安な日々を送っておられる方ではないかと思います。

そういった方へのちょっとしたヒントや自分への戒めになればと思い、今回はドロンが糖尿病になってから今日まで看病を続ける中で、私たち家族が悩んだり、葛藤しながら学んだことを綴りたいと思います。

数値や食欲の「一喜一憂」に心が削られる現実

ドロンが糖尿病と診断されてから5年以上が経ちます。この5年間ずっと安定して治療が出来ていたかというと、決してそうではありませんでした。

ドロンは糖尿病に関する検査を2~3ヶ月に1度のペースで受けています。

その間、毎日ずっと調子が良くて、ご飯を必要量食べてくれれば安心なんですが、現実はそううまくいきません。

レオンとドロンが寄り添って寝ている
寝ている時は安心できるけれど、起きてすぐ嘔吐したりして不安になる

天気に左右されて食欲が落ちる日もあれば、嘔吐してしまう日もあります。ときどき水飲み場で辛そうに大きな声で鳴かれると、それだけで「大丈夫かな~」と不安に襲われます。

血糖値の波があるようだと言われているため、今は高血糖なのか、それとも怖い低血糖なのか、すぐに血糖値がはかれず判断ができないからです。

病院での検査結果が「基準内で特に問題ないので、今まで通り継続」と言われれば、一安心します。しかし、また次の検査までの長い日々、同じような不安がずっと付きまといます。

不安なことがあると、同じような症状があるケースはないかとネット検索をし、動物病院の先生のブログや、同じように猫のインスリン治療をしている方のブログを読んでみては、また迷子になるのです。

先生方もそれぞれの治療方針や、経験から書いていらっしゃいますし、何より猫には個体差があります。使っているインスリンの種類も、治療の方法もまちまち。結局、我が家のケースに当てはまるかどうかもわからないまま、不安が増すばかりの日常が続きます。

『お金』と『時間』の二重の拘束。変わってしまった家族の生活

愛猫が糖尿病になってしまった時、「インスリン治療を始めるか」、あるいは「緩和治療に切り替えて残された寿命を全うするか」どちらかの選択を突きつけられます。どちらを選んでもそれは人間のエゴになるのかもしれません。

インスリン治療をすれば、生きられる命です。しかし、それと引き換えに、飼い主の生活には負担がのしかかります。

<猫の糖尿病治療がもたらす、二つの現実>

お金の負担:毎月のインスリン代、療法食のフード代、定期的な検査代。さらにシニア期に入れば他の体調不良による医療費の重なり。

時間の負担: 1日2回の決まった時間のインスリン注射・食事管理によるスケジュールの拘束。自分の仕事や外出、外食、旅行の計画など、自分の生活すべてが猫のスケジュールに制限される息苦しさ。

「この子のために何でもしてあげたい」という理想と、「生活や将来への負担」「自分の時間が奪われる」という現実の狭間で、一瞬でも「もしこの治療がなかったら……」と頭をよぎってしまう瞬間があります。そんな自分に気づくたび、自己嫌悪にさいなまれてきました。

お金や時間の限界を理由に、医療の引き際を考えてしまう瞬間は誰でもあると思います。それが薄情なのかといわれれば、それは違う気がします。

朝晩2回、決まった時間にインスリン注射をし続けることは、思った以上に精神的に過酷です。自分の体が辛いときもありますし、どこかに出かけたくても、諦めたりすることがあります。

我が家では、幸いにも家族と交代でドロンのお世話をしています。だからこそ、この5年乗り越えてこられました。もしこれが私ひとりの「ワンオペ」だったとしたら、今日まで治療を継続できていた自信はありません。

今、ひとりで看病を抱え込んで苦しんでいる飼い主さんがいたら、その辛さは想像を絶するものだと思います。

留守中のためにペット見守りカメラを設置したり、病院に預けたりすることでさらなる出費が必要になりますし、飼い主さん自身が体調を崩したときのことを考えると、その負担は計り知れません。

この可愛い猫達を見たら頑張るしかない

17年前の私に伝えたい。猫を飼う本当の「覚悟」の意味

17年前「猫を飼いたい」と子供に言われたとき、「大変だよ」とは言いましたが、ここまで過酷な現実があるとは、当時の私は1ミリも想像をしていませんでした。

私は子供の頃に一度、実家で猫を飼っていたことはあります。その猫は腎臓を悪くして亡くなったのですが、当時の時代背景もあったのか、今のような闘病生活というものはありませんでした。

あっという間に亡くなってしまった当時の悲しみを二度と経験したくなかったため、実は子供に言われたとき、猫を飼うのは反対でした。

「可愛い」「癒やされる」という時間の裏には、生き物である以上、避けては通れない「シニア期」や「闘病期」が待っています。

猫を飼うということは、元気なときだけを愛することではなく、将来こうして「自分の生活や時間、お金を削ってでも、この命を最後まで背負う瞬間が来るかもしれない」という未来ごと引き受けることだと、今つくづく感じています。

元気なうちは想像もつかないことですが、これから猫を迎える人、いま元気な猫と暮らしている人にも、いつか来るかもしれないこの現実を、あらかじめ知っておいてほしいのです。

気持ちよさそうに寝るドロン
気持ちよさそうに寝ているときは安心できるけれど、辛そうなときはいろいろ考えてしまう

ときどき、毎日ドロンに注射を打ちながら、「この治療を選択したことは正しかったのだろうか」「ドロンは今幸せなのかな?」と考えることがあります。

猫が「もっと生きたい」「毎日の注射が辛い」とは教えてくれません。もしあの日、インスリン治療をしない選択をしていたら、ドロンはもうこの世にはいなかったでしょう。看病は大変ですが、やっぱり、あの時治療を諦めなくて本当に良かったと思います。

情報に溺れないために。目の前のドロンが教えてくれる「正解」

時々嘔吐したり、ご飯を食べなかったり、ドロンの体調に変化があると、今でもすぐに不安になります。しかし不安に駆られてネットで調べれば調べるほど、様々な情報に溺れてしまいます。

それに、がんじがらめの完璧な看病は、飼い主の心を疲弊させます。だからこそ情報に振り回されることなく、目の前の愛猫をしっかり観察することだと自分に言い聞かせています。

ドロンにとっての幸せはネットにはありません。

しっぽをあげてお手入れに誘ってくるドロン
しっぽをあげてお手入れに誘ってくるドロン

もちろん毎日の健康管理も重要ですが、数字や正解を求めることはやめて、ソファーで目を細めてゴロゴロ音を鳴らすリラックスした瞬間や、しっぽを上に向けて『ニャ~』とおしゃべりしてくれる機嫌の良さそうな姿、そういう何気ない毎日を過ごせているドロンの姿こそが我が家の治療の正解だと最近はそう考えています。

そう言いながらも、また迷ってしまう自分がいるような気もしますが、その時は、この文章を自分でも読み返したいと思います。

この先も、まだ見ぬ体の変化が起きてくるでしょう。それでも毎日様子を見ているのは飼い主です。どんな結果になっても、最後まで責任を持って寄り添い、愛猫の穏やかな生活を守り続けることが、飼い主にできる一番大切なことだと確信しています。

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